持明院「はすの会」高野山の納骨と永代供養墓

  • 観光のご案内
  • 交通のご案内
  • はすの会会員の方
お知らせ・ニュース
トップページ / お知らせ・ニュース一覧

会報No.70-令和7年(2025年)秋

印刷に便利なPDF版はこちらです。(はすの会_70号


いのちの案内犬“ゴン”

今からおよそ千二百年前、子弟の根本道場。修禅の一院となる霊地を探し求めていた空海・・(後の弘法大師)を高野山まで道案内をした猟犬の話は、さまざまな説話として『今昔物語こんじゃくものがたり』をはじめ、数多く見られるが、空海にとって事実高野山は旧知の山でありました。

下賜かしを願う上表文に、「空海、少年の日、好んで山水を渉覧しょうらんし、平原の幽地ゆうち有り。名付けて高野たかのという」と記されているのです。

従って案内犬の話は、あくまで説話に過ぎないのです。

          ◇

昭和の終わり、六十年頃から平成の世にかけて、十年近くも高野山へ参詣人の方々を道案内した「ゴン・案内犬」の実話・・は、お大師さまの心を心として生きた証がTVをはじめマスコミなどに取り上げられたのは、まだ記憶に残っています。

ゴンは、麓(ふもと)九度山・・・の「慈尊院じそんいん」に住みつきました。当院は空海開創時、高野山の政所まんどころ・宿泊所として重要な役割を果たす一方、「女人高野」として親しまれている寺院です。

ゴンは紀州犬と柴犬の雑種の白い野良犬で、当院をねぐらに鐘の音をひとしお好んでいたため、「ゴン」という名で呼ばれるようになりました。

          ◇

ゴンは、誰が教えたわけではありませんが、不思議なことにそのうち高野山への参詣者の道案内をするようになりました。

最初の頃は「九度山駅」(南海高野線)から慈尊院の間を案内するだけでしたが、いつしか高野山町石道の約二十キロを朝、慈尊院を発(た)って夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻るという毎日を送るようになったのです。当初ゴンの行状は寺の誰にもわからず、参詣人の方々からの礼状や直接の御礼から初めてゴンの道案内を知り得た次第です。

          ◇

それはまるでお大師さまの分身のように大門までの案内に徹し、山内(さんない)はよろしく・・・・と言わんばかり、お大師さまの同行二人・・・・を地で行くような行為に終始しました。

          ◇

ゴンは平成14年6月5日、連日にわたる過度の疲労から息を引き取りましたが、参詣者から愛されていたゴンの行状を惜しみ、讃え、同年7月23日に慈尊院境内の弘法大師像の横にゴンの石像が載せられ「高野山案内犬ゴンの碑」が顕彰されました。

〝ゴンはお大師さまの犬〟“生まれ変わり”と今でも慈尊院に全国からお詣りをされる方々が居られます。

          ◇

弘法大師は、『宇宙に存在するものは、相互につながり合っている。動植物をはじめ、山や川、石ころさえも神が宿り、いのちが宿る』と考えておられます。

これからも第二のゴンやよく似た話が生まれてくることでしょう。

南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう


高野山案内犬 ゴンの碑 (慈尊院 九度山町)

ご挨拶


別格本山持明院 住職・竹内崇真

平素は当院に対し、ご厚誼を賜り厚く御礼申し上げます。

私事ではございますが、去る七月五日に高野山の僧位である「上綱じょうこう」に昇進させて頂きました。今後も高野山の学道を指導し、若い僧侶の育成に尽力させて頂きます。

今回は普段なじみのない、この「上綱」という僧位についてお話をさせて頂きます。
高野山は、僧侶の修行の道場として弘法大師様がお開きになったことはご周知の通りかと思います。長い期間道場に薦って精進潔斎し、仏様の教え(法)を深く理解し、体得することが「修行」であります。この修行にいくつかの種類がございます。

ひとつは、お葬式などを勤めるときにお導師様がいらっしゃいますが、お導師様が引導なさったり、お墓やお位牌を開眼供養なさったりする時に、修法という特別な作法を行います。この修法や深い瞑想の修練を行う修行が一つ。

もう一つは、学道修行と呼ばれる仏様の教え(法)を正しく理解するために、問答や講讃などによって教義経典の深旨習得を目指す修行です。

一つ目の修法を修め、灌頂といわれる儀式に入った者は真言宗の住職となり阿闍梨と呼ばれます。皆様の近くの真言宗のお寺の住職様は皆さんこの灌頂を受けて住職になっておられます。

二つ目の学道を修める修行は、高野山でのみ行える特別な修行であり、高野山の住職になるためには、

この学道修行を修めないといけません。

この学道修行を修めて高野山の住職になった者を「院家いんげ」と呼びます。

さらに、この学道修行を十年以上修練した者の中から一年に二名のみ「明神」と呼ばれる、高野山の明神様を奉迎する役を頂きます。この「明神」を一年間無事に勤め上げ、最高の問答法会である「竪精(りっせい)」といわれる法会を一晩こなした者のみ、学道修行の先生を勤める事が許されます。この学道修行は「勧学会(かんがくえ)」とよばれ、毎年秋頃にひと月ほど毎日に問答や講讃を修練します。この「勧学会」の先生を無事に終えた者二名が翌年に「上綱」という僧位につき、以降、高野山の学道を目指す者の指導や更なる学道の昇華を精進するのであります。

「上綱」昇進日は、御最勝講みさいしょうこうという国家安寧を祈る夏の法会を終えた日となります。

毎年、旧暦で日にちが変わりますが本年は7月5日がその日となります。

少し難しい話になりましたが、高野山の僧侶は「上綱」になる事によって修行の道場に住する者としての意義を果たしております。

私はその末席を汚す身であり、非常に恐縮ではありますが、これから日々に皆様の安寧、安全を祈らせて頂く為にも精進を怠らず仏の道を邁進致す所存でございます。

今後とも、皆様のご厚誼を賜れますよう伏してお願い申し上げる次第でございます。

合掌

南無大師遍照金剛

 ホームページ日々更新中!

はすの会では、より多くの皆様に私達の活動や高野山の魅力を知っていただくために、今春よりホームページ内の「お知らせ・ニュース」欄をほぼ毎日更新しております。

高野山の四季折々の風景や行事、美味しいグルメ情報、観光スポットの紹介はもちろんのこと、周辺地域の最新情報やおすすめスポットも合わせてお伝えしております。

皆様にとってわかりやすく興味を持っていただけるよう、写真やエピソードを交えながらお伝えすることを心掛けております。真言密教の聖地「高野山」をより深く知っていただき、ご参拝や観光の参考にしていただければ幸いです。

はすの会ホームページ(TOPページ)→画面左にある『お知らせ・ニュース』欄を是非ご覧ください。

こころの玉手箱

『心の拠り所たる「仏教」を求めて』
大阪府 吉喜 文男 様

私は、今年74歳になります。小学・中学・高等学校を高野山の麓の高野口町に所在する学校に通学しました。

また、父が大東亜戦争中在籍したのが高野山海軍航空隊(以下「高野空」という)(昭和19年8月115日三重県航空隊高野山分遺隊として新設され、昭和20年3月1日高野空として発足、父の駐屯地は普賢院)でした。昭和62年10月4日に、同隊平和祈願供養塔建立除幕式が奥之院で執り行われました。


※高野山海軍航空隊 平和祈願供養塔(奥之院)

このころ、持明院にも飛行余科練習生乙飛12期125名が駐屯していました。
高野空新設直後の昭和19年9月3日午後10時ごろ、高野山鉄道の列車転覆事故が発生し、即死71名、不詳者138名の大惨事となりました。本件の支援要請を受けた高野空は、直ちに部隊を派遣し、夜を徹した救助活動を行いました。この列車に乗車していたのが私の母でありました。(この時、父母はお互い面識なし)

母はこの事故に遭遇したものの、九死に一生を得、88年の寿命を全うしました。これが縁でなくて何だろうと、今も思っています。

更に、父母を見送った後の平成24年5月には、金剛峯寺に燈籠を寄進しました。このようなことから、私にとって高野山は、極めて大切で身近な存在になっていました。

1.仏教に関心をもったきっかけ
父は、昭和58年11月3日79歳で他界しましたが、自己の心の拠り所であった父
を亡くして初めて仏の教えに目覚めたように思いました。まさに「人身は受け難く、仏教は遭い難し」の心境でした。この時より先祖のおまつりの大切さを、身をもって感じるようになりました。

2.冥福五輪塔を建立した理由
高野山には、前述したとおり度々お参りしておりましたが、子供2人、孫3人に恵まれたものの全員女性であり、家督相続が難しくなってしまいました。家督相続する者が無くなっても、自分達が存在していたことを永久に残すことが出来ないものだろうか。何年も考えておりましたが、ある時インターネットに永久永代供養が出来るお寺として持明院が紹介されていました。私が求めていたものは「これだ」と直感し、冥福五輪塔の建立を決めました。

3.叔母の任意後見人としての思い
叔母は、二年前に92歳で他界しました。子宝にも恵まれず、夫が他界した後一人で生活しておりましたが、高齢になったことから司法書士の先生と一緒に任意後見人となり6年間お世話をしてきました。この時最も強く感じたことは、叔母が亡くなれば何も残らなくなってしまうのではないか。後世に残せるものはないだろうか、というものでした。この時も考えたことは、永久永代供養をして頂ける持明院に冥福五輪塔を建立することでした。

叔母に話をし、早速冥福五輪塔建立の手続きをしましたが、開眼供養に同行した時の叔母の安心しきった嬉しそうな顔は今も忘れられません。その後も何度も「この世に思い残すことは何もない。」と話しておりました。私どもも、人の役に立ててその上喜んでもらえてありがたく思っております。

4.持明院での永代供養を広める
その後、知り合いの方にこれらのことを話したところ、一家族の方が冥福五輪塔を建立され、もう一家族の方は繰り出し位牌を設置されました。これも仏様の供養になったものと喜んでおります。

5.結びに
56億7千万年後には弥勒菩薩様が地上に現れ、あまねく衆生を救い、その時お大師さまも一緒に地上に現れるという弥勒信仰を信じたいと思っております。

またその時は、この高野の地で、私たち家族一同全員揃ってお迎えしたいと思っております。

合掌


※高野山海軍航空隊 菩薩寺の碑(本王院)


『新発見』
大阪府   井垣 成一 様    

2024(令和6)年12月4日に、同年7月13日に満73歳で亡くなった妻の戒名「清心常照信女」に使われている文字で気になる二文字を見つけました。それは〝常照〟です。

この年7月9日、高野山に墓を買って、持明院よりいただいた檀信徒手帳の中に常照の文字を見つけました。その文字は平安時代の正暦4年994年の雷火災害の復興に立ち上がられた常照上人に使われていました。

高野山には奥之院に弘法大師廟があります。この廟の左側に常照上人の廟があることがわかりました。御廟には常照上人と記されています。また、常照上人は弘法大師再来の人として、村上天皇が常照上人に称号として授けられたものでした。

妻が亡くなってまだ日が浅く、悲しみに明け暮れています。しかし、この日をもって気持ちががらりと変わりました。

『霊験あらたかな高野山に迎え入れられて、卵巣癌治療で苦しんだ2年9か月間のからだの痛みや手足のシビレなどはもうありません。毎日、常照上人に見守られて楽しく過ごしています』と天から声が聞こえてきます。

高野山とのお付き合いはまだ始まったばかりですが、妻の戒名がご縁で妻以外にもお参りするところが見つかりました。今まで以上に高野山に関心を持って参詣いたします。

合掌

はすの会ヴァーチャル永代供養

会員の皆様から「高野山は遠くてなかなかお参りに行けない分、ヴァーチャル供養で手を合わせています」というお言葉をいただいております。私どもとしましても、そのような言葉を聞くのは本当に嬉しいことです。本当にありがとうございます。

さて、令和6年9月25日~令和7年5月31日までにご入会された方につきまして、新たにヴァーチャル供養の閲覧が可能になりました。

今回右記に該当される会員様へは、会員番号と暗証番号を記載した用紙を同封しましたので、是非ご利用ください。
(※奉賛五輪塔・冥福五輪塔をお申し込みで未建立の会員様・存命者のみの会員様を除きます)

操作方法に不安のある方・ご自身の供養碑を見るための会員番号や暗証番号がご不明な場合は、高野山へお参りの際にスタッフへ一言お声がけください。また、お買い物などで大阪に来られた際は是非はすの会本社へお立ち寄りください。アプリの登録や操作方法についてご案内いたします。

遠方の方につきましても、お電話でご案内させていただく他、操作方法のマニュアルをご自宅へお送りいたしますので遠慮なくご連絡くださいませ。

秋季合同法要開催のご案内

 会員の皆様、今年も秋季合同法要を迎える季節がやってまいりました。

近年の異常気象により、今年は例年になく梅雨明けが早く猛暑が続いております。そのような中で、少しは涼しさを体感出来きる高野山で、ご先祖さまやご家族を偲ぶ時間を持つことは心の安らぎとなります。

是非お参りください。


◆日時
 令和7年9月15日(月・祝)
12時30分~13時10分頃

(法要時間約40分・集合12時15分)

◆場所
 持明院・本堂
(和歌山県伊都郡高野町高野山455)

◆法要料(参加費)
 無料
(ご希望によりお布施は受け付けております)

◆ご参加
 自由・予約不要

◆佛舎利宝塔の参拝時間
 10時~15時30分まで

    • 法要の前後に佛舎利宝塔の参拝もできます。
    • ご親族だけでなく、ご友人なども参加いただけます。
    • 当日は12時30分からはじまりますので、15分前までに受付をお済ませください。
    • 持明院の駐車台数は限りがございますので、できるだけ電車・バスでお越しください。

南海電鉄の特急(こうや号・全席指定)は、一ヶ月前から予約できます。

    • 高野山は平地と比べ5~6℃気温が低く冷えることがございますので、羽織るものをお持ちください。
    • 持明院でご昼食を希望される方は、あらかじめご予約が必要です。

9/11(木)までにお申し込みください。
精進料理:お一人様 2,200円(税込)
お子様向けも同額でご用意できます。

    • 南海電車高野線は令和6(2024)年12月20日にダイヤ改正をしております。
      南海電鉄ホームページからもご確認くださいませ。
    南海電鉄 高野線 時刻表(土日ダイヤ)
    難 波 発 高野山駅着
    8:13 10:07
    8:36 10:29
    こうや5号 9:00 10:40
    9:02 10:50
    9:23 11:12
    天空1号 9:36 11:29
    こうや7号 10:00 11:42
    10:02 12:20
    高野山駅発 難 波 着
    13:50 15:56
    14:24 16:22
    14:47 17:02
    こうや12号 15:10 16:50
    15:26 17:22
    15:52 18:02
    こうや14号 16:14 17:51
    16:31 18:23



ページトップ