会報No.61-令和3年(2021年)春
合同法要の模様をビデオ撮影しました。こちらからご覧になることができます。(https://www.youtube.com/watch?v=xPIyKHUVT14)公開期限2021年(令和3年)6月30日まで←現在、お取り扱いはしておりません。
東寺(とうじ)=教王護国寺(きょうおうごこくじ)
京都の一年は、「初弘法(はつこうぼう)」に始まり「終い弘法(しまいこうぼう)」で終わる。と言われています。大師信仰の所産である毎月21日の縁日(弘法さん)が洛中(らくちゅう)をはじめ近隣の庶民に愛され、繁盛しているお寺が「東寺」です。
一方、正式な名称の「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」に表わされているように真言宗最高の修法である後七日御修法(ごしちにちみしほ;宮中の正月行事が終わった後の七日間、時の天皇と国家の安泰、世界の平和を祈願し、当初は宮中の真言院で営まれた)の寺院として著名です。
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桓武天皇による平安遷都(七九四年)の後、国の鎮護、都の守護を願い、洛南の地「羅城門(らじょうもん)(羅生門)」の東西に建てられた官寺のひとつでありましたが、弘仁14年(八二三年)真言宗最大の庇護者である嵯峨天皇により開祖空海(弘法大師)に下賜(かし)されました。
その目的は、先に高野山の開創を許され、長い年月を要する<未来成仏>を説く旧来の仏教に対し、自らの修行により「仏」の力を顕現させることができるというまったく新しい思想<即身成仏(そくしんじょうぶつ)>を実証し、国家社会に貢献されている弘法大師への篤い信頼の証であり、ひいては国の安泰、民の幸福を願われる広い御心にありました。
弘法大師は敬愛する嵯峨天皇の熱望に応え、その造営にあたっては<密教>の教えに則(のっと)り、堂塔伽藍(どうとうがらん)を配置し、曼荼羅の世界を立像により“三次元で表現する”など独自性の高い寺院を建立し、教王護国寺と命名、鎮護国家の勅願寺とされました。また隣接地には、初めての私学「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を創設、庶民教育の魁(さきがけ)となりました。
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今も<京都>を象徴する五重の塔をはじめ、密教美術・古文書の宝庫として、弘法大師の理想世界を表現している<東寺>は、大師信仰の総本山である高野山と車の両輪となり、
数々の修法を通し、国家の安泰と世界平和を祈り続けています。
京都・東寺
羅城門
元々の読みは、呉音で「らじょうもん」、漢音で
「らせいもん」であったとされ、中世頃からは「ら
しょう」の読みが一般化したものとされ、当字で
「羅生門」とも表記されるようになった。
佛舎利宝塔 建立の主旨
別格本山持明院 持明院住職・竹内崇雄
高野山はすの会の皆様、コロナ禍を初め昨年七月の豪雨による水害等ご回復されたでしょうか。
心からお見舞い申し上げます。
さて宗祖弘法大師の聖地高野山奥之院に『佛舎利宝塔』が建立されて以来、およそ三十五年の月日が経ち、施主様の代替わりが多くなって参りました。それに伴ない、近頃会員やそのご家族の方々から『佛舎利宝塔』建立の由来や主旨等のご質問をいただきますので、このたび改めて会報誌上にその主旨を記載いたします。ご入会以来皆様のご先祖様が拝受されている功徳を十分噛みしめてください。
趣意書
高祖弘法大師空海の教えは、高い理知と限りない慈しみの心によって、現実の生活
に即し、人々の幸せを成し遂げることにあります。
今日、時移り世情が変わりましても、この教えは宗旨・宗派を超え全土に広く伝わ
り、人々の救いとなっています。お釈迦様は、約二千五百年前にインド・カビラ国でご誕生になり、御年八十歳クシ
ナーラの場外、沙羅双樹の園で御入滅なさるまで、衆生救済のために広く全土にその
教えを説き、その生涯を捧げられました。
御入滅後、佛身を荼毘(だび;火葬)に付し奉り、その舎利(ご遺骨)を八ヶ国に
配分し、塔を建立してご供養しましたのが佛舎利信仰の来歴とされ、宝塔の起源とさ
れています。
わが国におきましても仏教伝来の初めより佛舎利を尊崇し、弘法大師空海御入唐に
際し八十粒を御請来され、京都・東寺に安置しました。昭和五十九年(一九八四年)、高祖御入定千百五十年御遠忌大法会に際しまして、
高野山奥の院浄域に佛舎利の建立を発願し、持明院に古来より伝来の佛舎利を御請
来、御奉納いたし、開眼法要をいたしました。
この度、佛舎利宝塔の功徳を多くの方々から御拝受できますよう御希望もあり、
当院でお申込者の方々の祖霊に永代供養をさせて頂くこととなりました。「寺月会」にその募集をお願いし、お釈迦様の教えに報いて十万檀越の所願円満
の招来を祈念いたします。
(合掌)高野山真言宗
別格本山 持明院
大僧正 竹内崇峯
会員様へのお知らせ
昨年(令和二年)、十二月二十三日、
持明院の竹内崇雄住職は高野山真言宗
で最高位の大僧正の地位に昇階されま
したのでお知らせいたします。
はすの会・会員便り
このたびのご縁、感謝申し上げます。
小津力 沙々
私事で誠に恐縮ですが、四~五年前から終末後の事を考え始めて以来、やっと自分が納得できる場所を見つけ、今は落ち着いた気持ちです。
先日お話しましたように、五年前に主人は父祖の墓を建てました。主人は三男ですが、親孝行が出来て良かったと思います。
「貴方もそのお墓に入るのか?」と問いますと、「長男の家族がいるので、自分は入るつもりはない。自分は自然に還る方法で終わってもよい。」とのことでした。多分、水葬や樹木葬の事だと思いますが、私自身もそれでも良いと思っていました。
世界遺産で歴史上偉大なお大師様の聖地に、私のような一介の人間も住めるなんて、露ほども思っていなかったのです。
幼い頃から小さくても自分の家を持ちたいと願っていたので、今回安住地を見つけたように感じました。主人も是非そこに入りたいと申しますので、私もそれに応えたいと思います。
高野山をご案内の途上、ふと、こんな句が浮かびました。
幼き日の夢の続きが実現し
住処(すまい)手に触れ 大師を仰ぐ秋深し高野の杜(もり)に終(つ)いの
住処(すみか)を見つけたり
戦後の貧しい時代、家も無く、大きくなったら必ず自分の表札のつく家を造りたい!そんな思いで定年までフルタイムで働きました。やっと自分の名のつく家を手に入れたのです。そんな思いの句です。(どうぞご笑覧ください。)
子供や孫達は五輪塔がもてた事をことのほか喜び、デザインをあれこれ考え始めたようです。
年が明けましたら、夫と長女家族と一緒に高野山に登り、一家安住の住処に触れ、満喫したいと思います。
これからは手続き等々、持明院様をはじめ寺月会の皆様のお世話になります。どうかよろしくお願い申し上げます。
編集部より
この小津力様は、純粋な心を持った、とても信仰心の厚い、家族思いの方です。
これからもはすの会スタッフは誠心誠意を持って、お手伝いさせていただく所存です。
スタッフ便り
本年一月八日、はすの会スタッフは全員で、新年挨拶と会員の皆様ならびにご家族のご健勝、このコロナ禍からの回復を祈願するために持明院に登嶺いたしました。
春季合同法要ご参列見合わせについて
会員の皆様方、昨年より続いています新型コロナ感染症の収束がなかなか見えてこない中、いかがお過ごしでございますか。
今年に入り二度目の緊急事態宣言も発令されました。そのようなことから、この春季合同法要につきましては、昨年の秋季合同法要と同じように皆様不参加の中で執り行うことを止むを得ず選択させていただきました。
会員の皆様は今年は何とか法要に参列できるのでは、と大変心待ちにしておられたと思います。はすの会事務局スタッフも皆様と同じ思いでおりました。
持明院・大僧正・竹内崇雄も皆様へご挨拶ができないことを大変残念に思い、新型コロナ感染症の早期収束と次回は安心して参列頂ける状況になっていることを願っております。
はすの会としましても近い将来必ず今までと同じ様に皆様ご参列のもと合同法要を開催できるよう願っておりますので、それまでどうかご辛抱頂きたいと存じます。つきましては、
3月21日12時30分定刻通り持明院本堂にてはすの会各家ご先祖様への法要は
厳(おごそ)かに執り行いますが、持明院館内並びに本堂への立ち入りはご
遠慮願います。
仏舎利宝塔永代供養墓のご参拝、ご焼香は、終日対応致します。例年通りご参拝お待ち申し上げます。
春季法要時間帯に持明院にてご焼香を希望される会員様に於かれましては、本堂前(外)にて焼香頂けるよう、ご案内させて頂きます。
またこの度の春季法要の模様は後日はすの会ホームページにて動画配信を予定していますので、ご高覧宜しくお願い致します。(掲載期間令和3年6月末日迄)
別格本山持明院はすの会事務局では、これからも会員様や高野山へお越し頂きます方に、安心してお参り頂けるよう努めて参りますので、宜しくお願い申し上げます。
◆日時
令和3年3月21日(日)
12時30分より◆場所
持明院・本堂
◆ご参加
会員の皆様のご参加は
ご遠慮ください。
(持明院の僧侶だけで執り行います)●当日は仏舎利宝塔への参拝は可能です。
10時~15時30分
●例年ではご希望者には昼食を募っておりましたが、
今回もこのようなことで、昼食のサービスは取りやめ
させていただきます。