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弁護士「復興に尽くす」(読売新聞より)

「はすの会」の会員様は全国にいらっしゃるため、2011年3月11日の東日本大震災による影響を受けた方は大勢いらっしゃいます。

残念ながらいまだ連絡がつかない方もいらっしゃるのですが、この記事の東様の奥様のお母様から無事の連絡をいただくとともに、あわせて「読売新聞に載るのでよろしければ見てください」とお知らせをいただきましたので、今回ご紹介させていただきます。

読売新聞(2011年4月5日)より


(画像のクリックで拡大します)

弁護士「復興に尽くす」

弁護士の少ない町で人々の役に立とうと大阪から富城県気仙沼市に移住し、東日本大震災の津波で自宅も事務所も被災した東(ひがし)忠宏弁護士(33)が4日、市内の洋服販売店の一角を間借りして事務所を再開した。

津波で家や職を失った被災者には、家財の被害の回復、相続、雇用など法律が絡む間題は多く、「大好きなこの街の復輿に弁護士人生をささげる」と思い定めている。

大阪から気仙沼移住 被災

この日、再開した気仙沼ひまわり基金法律事務所には、被災者が次々と訪れた。応接場所は洋服店の倉庫を急ごしらえで改造したスペースだ。「家が流された。支援してもらう方法はないか」。深刻な表憤で話す相談者の男性に、東さんが「被災者生活再建支援法で、全壊なら最大300万円の支援金が出ます」などと説明すると、男性の表情が少し和らいだ。

東さんは2001年に司法試験に合格後、大阪市の法律事務所で勤務していたが、「自分をもっと必要としてくれる場所で仕事をしたい」と考え、06年に日本弁護士連合会などによる弁護士過疎地での開業援助制度に応募した。

気仙沼市には仙台地裁気仙沼支部があるが、管内で開業する弁護士は当時、2人だけだった。「住んだことのない東北へ」という理由で選んだ土地だったが、07年4月の開業以降、続々と仕事が舞い込んだ。

そんな忙しい日々に、突然起きた3月11日の震災。

同県石巻市内を移動中、津波に襲われ、車を乗り捨てて近くのビルに逃れた。妻裕季子さん(33)と1歳、3歳、5歳の3人の子供たちも無事だったが、気仙沼市中心部のビル2階にあった事務所は浸水、ローンで購入した自宅も一階が水没した。


洋服店の一角を間借リした事務所で再開準備を進める東弁護士(左)と妻の裕季子さん(2日、宮城県気仙沼市で)

業務再開一生この街で

ショックが消えないまま24日、当番に当たっていた被災者対象の法律相談に臨んだが、そこで自分よりずっと深刻な被災者の現実に直面した。「夫が亡くなった」のは勤務先の会社の避難誘導に問題があったのでは」。涙を浮かべて相談する被災者の女性。「損害賠償を求める方法もある」と法律家として冷静に回答したが、悲しみが痛いほど伝わってきた。「被災者のためにも一刻も早く事務所を再開しなければ」と業務再開に向け、動き始めた。なじみの洋服店主に頼み込んで場所を借りることができた。

全財産を失った被災者も多く、自宅の建て直しなどで借金がかさみ経済的に行き詰まる人も増えることが見込まれ、被災者の生活再建の見通しがたつまで相談料は取らないことにした。

今、「これまでの弁護士生活で、自分が最も必要とされている」と思う。一生この街で復興を見つめていくつもりだ。(田中重人)



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