持明院「はすの会」高野山の納骨と永代供養墓

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金堂(2005秋-No.27)

同行二人・お大師さまと歩む清らかな人生

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伽藍の中で何度も再建されれた大建築(伽藍の名宝)

金堂

伽藍の役割を担っています建物は幾つかありますが、その中で「金堂」は高野山真言宗の総本山として特に重要な役割を果たしています。

現在の建物は7度目の再建で、昭和7年に完戌、梁間25メートル、桁行32メートル、高さ23メートル、本尊は高村光雲作の薬師如来(秘仏)が奉安されています。内部の壁画は木村武山画伯の筆によるとされています。

もともと伽藍の意味は僧侶たちが住んで佛の道を修行する清く静かなる所という意味ですが、佛教辞典によりますと時代時代に寺院建築の様式が変化し、同時に、それぞれの寺院を構成する空間そのものが伽藍として変化、多様化されてきました。

詳しい説明は省略しますが、金堂や根本大塔や諸寺院を構成している高野山のあの一郭そのものが伽藍なのです。

先日、仏舎利宝塔の清掃をしていましたら、外国人数人の方が珍しそうに仏舎利宝塔を見ていましたので「この塔の中にはブッダのお骨が祀られています。高野山ではブッダのお骨を祀っているのはここしかありません」と説明しましたら、是非見せて欲しいと頼まれましたので、案内しましたら「高野山に来た甲斐があった」と喜ばれました。

現在世界遺産として多くの外国の方が興味本意、あるいは仏教にほんとうに関心のある方もいますでしょうが、高野山の奥の深さをもっと伝えられたらとつくづく思いました。

高野山とわたし2

青葉まつりに参列して

倉本重信様(吹田市)

1200年の歴史を誇るお大師様の聖地。

霊蜂高野山春は垂れ桜、初夏のつつじ、高野の花金剛三昧院のしゃくなげ、伽藍一帯に咲き乱れる紫陽花、初秋を感じる寺院の萩、奥の院付近の鮮やかな紅葉、全山の雪景色、雪を冠ったお堂と白のコントラストが美しい御影堂のお姿、等々。

私は、四季折々、季節の景観を愉しみに、お山に数十回参拝させて頂いています。

この行事も100年以上の伝統を持つ高野山一大イベント、毎年6月15日お大師様の生誕お祝「青葉祭」一度見学したいと思っていました。今年は夢が実現し、その感想を小文にまとめました。

前夜祭も大変賑やかと聞いて、私たちと広島の妹夫婦に声をかけ、4人で14日午後に「こうや号」で高野山入りしました。

気温20度風爽やか、木漏れ日の差し込む木立をぬって高野霊香に心をこめて奥の院参拝を済ませ、千手院橋近くの宿坊に入り、この地ならではの精進料理を頂き、雑談、昔話しに花が咲きました。

8時過ぎ、鐘、太鼓、笛、掛け声のテープが響いてきた。

外は肌寒い、浴衣に羽織りを着て、4人で前夜祭見物に出かけました。

色とりどりの電飾が一際映え、闇に踊る極彩色のお稚児大師、淡いブルーの妖精現衣、武者人形にも似た山車、巨大な人型の提灯が引き回され、威勢のいい掛け声に興奮が沸き起こってきます。

白足袋姿の奉賛会の若者、千手院橋付近のメイン通りと金剛峯寺前の大駐車場を埋め尽くし、華やかな美を競って高野の町に舞い、まさに大地の鼓動を感じた。

(多分皆さんも想像できないと思います)

奉賛会の方が入りませんかと声をかけられ、私も飛び入りで稚児大師の山車に参加させて頂き、我を忘れて、押してに加わり、初体験をカメラにおさめ、好い思い出となりました。

私たちは明日早いスケジュールのために、区切りをつけ、宿坊に引き上げました。

6月15日快晴、気温12度〜23度、水が冷たい。

身支度を整え、本堂での御勤めを済ませ、宿坊を後にしました。

午前、総本山金剛峯寺参拝、国宝、高野山真言宗の象徴である根本大堂、御影堂、金堂等、お大師様ゆかりの大伽藍を時と共に重ねられて祈りの場所に心の道を歩み、私たちは再び、千手院橋に戻りました。

すでに地元のケーブルテレビ他、カメラの列、正午奥の院一の橋を出発、総本山金剛峯寺までの約2キロのパレード、「青葉祭」の垂れ幕先頭に、それは可愛いお稚児さんの行列が華やかに登場、続いて地元大学生男女によるお揃いの衣装で、お大師様の音頭に合わせての踊り、全国から参加した和服姿の御詠歌隊のみなさん。

高校男女のバンダナ、ハッピ姿の勇牡な舞い皆さんの目も輝いていました。

参道の参詣者や観光客から歓声と拍手が沸き上がった。

稚児大師の山車等、山内を約千人位が参道を練り歩き、沿道は人、人、人で身動きができない位でした。

行列の中央を進んだのは青葉娘、4人がのりました。

蓮の花をあしらった縁起物の絵札をまく、「散華」を行い、拾おうとする見物客で山車の周りは黒山の人だかりができていた。

私も一枚土産に頂きました。

パレードはまだまだ続く、世界遺産登録、初の行事に山内上げてのお祭りでした。

私たちは帰路の時間もあり、そこそこにお山を後に「こうや号」の人となりました。

楽しい「青葉祭」を見物させて頂き本当にありがとう。

これからも信仰、観光、健康、をモットーに大師今なおおわします聖地、高野山に参拝できる悦びと幸せを、心の財産としていつまでも大切にしたいと強く思いました。

(合掌)

「青葉祭」は以前に御紹介したことがありますが、お大師様のご生誕を祝って、盛大なお祝行事がございます。

倉本様のように本当に御覧になられた方は少ないと思いますが、ぜひよい思いでになりますので、お薦めいたします。



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